TOMIX EF66 24系25形寝台特急はやぶさ

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EF66形電気機関車は、国鉄が1968(昭和43)年から1974(昭和49)年まで、JR貨物が1989(平成元)年から1991(平成3)年まで製作した直流電気機関車です。
本形式は、東海道・山陽本線系統の高速貨物列車専用機として開発されました。
名神・東名高速道路の整備により輸送シェアを拡大しつつあったトラック輸送に対抗するため、国鉄では特に所要時間の短縮が急務とされた生鮮品輸送を中心に貨物列車の高速化を計画しました。最高速度 100 km/h での走行可能なコキ10000形コンテナ車・レサ10000系冷蔵車と並行して、専用の新型機関車の開発が開始されました。
当初は動軸数8軸の「H級」とする構想もありましたが、大出力電動機の実用化に見込みがついたことから動軸数6軸の「F級」として開発が進められ、1966(昭和41)年9月に試作機が川崎車輛で完成しました。これがEF90形です。定格出力 3,900 kW は狭軌鉄道では当時世界最大のものでした。
 同年11月より、先に運用を開始していたレサ10000系の特急貨物列車「とびうお」「ぎんりん」の牽引で運用を開始し、運用結果を基に1968(昭和43)年から量産機の製作が開始されました。量産機はEF66形を名乗ることとなりました。
 本形式の量産開始に伴い、これまで暫定的にEF65形(500番台F形)の重連牽引としてきた「とびうお」などの高速貨物列車は本形式1両での牽引に切り替えられ、以後、東海道・山陽本線系統の高速貨物列車に主として使用されてきました。1985(昭和60)年3月からは、寝台特急(ブルートレイン)「はやぶさ」「富士」など旅客列車の牽引にも使用されるようになりました。
 1987(昭和62)年の国鉄分割民営化ではJR西日本とJR貨物に承継されました。1989(平成元)年には、JR貨物によって一部設計変更の上で新規製作が行われました。これはコンテナ貨物輸送の好調を受け、列車増発に対応するもので、当時並行して開発に着手した新型機関車の投入までに輸送状況の逼迫を賄う時間的猶予がなかったための過渡的な措置でした。以降、コンテナ車を主とする貨物列車に重用されました。
 JR西日本所属車は引き続き東海道・山陽本線区間の寝台特急で運用されましたが、2009(平成21)年3月、同区間の客車寝台特急全廃をもって定期運用を終了。後に工事列車や団体列車の運用に充てられましたが、2010(平成22)年には全車が除籍となりJR西日本所属車は消滅しました。
 第12回(1969年)鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。国鉄・私鉄の機関車でブルーリボン賞を受賞した車両は2017(平成29)年現在、本形式のみとなっています。

1958年(昭和33年)10月1日改正で、これまで一般形客車により運転されていた東京〜博多間の「あさかぜ」が新鋭の20系客車に置き換えられることになり、「あさかぜ」に使用していた一般形客車が転用可能になったことから、この年の9月30日東京発の下り列車から初の鹿児島特急「はやぶさ」が運転を開始しました。「はやぶさ」は、それまでの急行「さつま」と比べて10時間近いスピードアップを果たしました。
 編成は、一般形時代の「あさかぜ」とまったく同じ13両で、一般形客車を使用する特急としては最長距離となる東京〜鹿児島間1494.6km(当時)では3編成が必要となることから、5編成を東京〜長崎間の「平和」と共通で運用しました。
 牽引機は、東京〜姫路間がEF58、姫路〜下関間がC62、下関〜門司間がEF10、門司〜博多間がC59、博多〜鹿児島間がC61で、上りの鹿児島→門司間はC61の通し牽引となり、セノハチ越えを控える上りの広島→八本松間ではD52が後補機に就いていました。
 ちなみに、「はやぶさ」の名は、戦前の特急愛称公募のときには第5位の得票を集めた人気のネーミングでしたが、なぜか戦後になるまで列車名として採用されず、漢字で「隼」が鹿児島の「薩摩隼人」を連想させるということから採用されたという経緯があります。そのためのちに東北新幹線で「はやぶさ」の名が使用されることに違和感を持つ人が今でもいます。
 1958年(昭和33年)、「あさかぜ」に登場した20系客車は、全車冷暖房完備、明るいインテリアと豪華な車内設備で「走るホテル」と呼ばれ一世を風靡しました。そこで国鉄では、以後新製する客車は、20系の増備に注力することとなり、1960年(昭和35年)7月20日には「はやぶさ」も20系に置き換えられ、東京〜九州間夜行寝台特急の近代化がほぼ完成しました。同時に「はやぶさ」の終着が鹿児島から西鹿児島(現・鹿児島中央)に改められました。
 20系化以後の「はやぶさ」は、「あさかぜ」「さくら」と歩調を合わせるように変化を遂げました。1963年(昭和38年)12月20日には東京〜広島間の牽引機がEF58からハイパワーの特急牽引専用機・EF60形500番代に変更され15両化、1965(昭和40)年3月20日には2等座席車を2等寝台車に置き換え、全車寝台化が完了しました。また、この年の10月1日改正では、直流電化区間の牽引機が、3年後に予定された最高110km/h運転に備えてEF65形500番代に変更され、1978年(昭和53年)まで東京〜九州間の寝台特急は同機が限定運用されました。
 「はやぶさ」は運転開始以来、一貫して東京〜鹿児島、西鹿児島間を結んできましたが、1968(昭和43)年10月1日改正では、博多止まりの付属編成が長崎まで延長されることになり、「はやぶさ」は東京〜西鹿児島、長崎間の2階建て列車に変化しました。これにより、従来、東京〜長崎、佐世保間で運転されていた急行「雲仙」「西海」が廃止されました(列車名は関西〜九州間の夜行急行に移り存続)。
 この列車は電源車が西鹿児島編成に連結され、鳥栖で西鹿児島編成と長崎編成が分割・併合されることから、長崎編成には簡易電源車のマヤ20が連結されました。しかし、20系客車はもともと分割・併合を考慮した構造になっていないため、1975年(昭和50年)3月10日改正では、分割・併合が容易な分散電源方式の14系寝台車で運転されていた東京〜熊本間の「みずほ」に長崎編成を譲り、自らは「富士」「出雲」とともに新鋭の24系客車に置き換わり、グレードアップしました。
 1976(昭和51)年10月1日改正では、1974(昭和49)年4月25日改正から関西〜九州間の寝台特急に投入されていた2段式B寝台車の24系25形が東京口の寝台特急にも投入されることになり、「はやぶさ」「富士」「出雲」を置き換えました(「はやぶさ」は9月27日東京発から置換え)。関西〜九州間特急ではB寝台車のみのオールモノクラスで運転されていましたが、A寝台車の需要が高い東京口の寝台特急では新形式の個室寝台車・オロネ25が連結されることになり、「はやぶさ」は装いを大きく変えました。ちなみに50.3改正以後、20系で残る東京口の特急は「あさかぜ」2往復のみとなりましたが、これらも1978年(昭和53年)までには24系25形に置き換えられました。
 昭和50年代は相次ぐ国鉄運賃・料金の値上げや新幹線への乗客移転などで、東京〜九州間の寝台特急の人気は下降線を辿るようになりました。昭和50年代前半はブルートレインブームに後押しされた感がありましたが、ブームが冷めると客足は次第に鈍るようになり、1985(昭和60)年3月14日改正では、ロビーカーの連結など、これまでの国鉄には見られなかった新機軸が盛り込まれました。それに伴い、東京~下関間の牽引機はEF66に置き換えられました。それでも、東京〜西鹿児島間の寝台特急の運賃・料金が航空運賃に迫る現状では、抜本的な改善には至りませんでした。
 なお、1980年(昭和55年)10月1日改正では、それまで日本一の長距離寝台特急として名を馳せた東京〜西鹿児島間(日豊本線経由)の「富士」が東京〜宮崎間に短縮され、その地位は「はやぶさ」に譲られました。
 JR移行後の東京〜九州間寝台特急は、寝台券の入手が困難な「北斗星」などの人気とは裏腹に縮小傾向へ向かいました。「はやぶさ」は輸送人員が減ったことで、1989(平成元)年3月11日改正から定員が少ない1人用B個室「ソロ」の連結を開始しましたが、抜本的な人気回復には至らず、1997(平成9)年11月29日改正ではついに長年の終着駅だった西鹿児島を離れ、熊本止まりに短縮されてしまいました。これにより、1980(昭和55)年10月1日改正以来保持していた日本一の長距離寝台特急の地位を大阪〜札幌間の「トワイライトエクスプレス」に譲ることになりました。「はやぶさ」の縮小傾向はさらに続き、1999(平成11)年12月4日改正ではついに東京〜長崎間の「さくら」と併結となり、41年間単独列車を維持してきた「はやぶさ」にとっては屈辱の改正となりました。
 2004(平成16)年3月13日、九州新幹線新八代〜鹿児島中央間開業により、九州の鉄道地図は激変しましたが、それにもめげず「はやぶさ」の運転は維持されました。しかし、2005年(平成17年)3月1日ダイヤ改正で「はやぶさ」は併結相手の「さくら」廃止に伴い、新たに東京~門司間で「富士」と併結する2階建て列車となりました。これにあわせて、使用車両を24系25形客車から14系客車に変更し、また「ロビーカー」とブルトレ便も同時に廃止となりました。その後2009年(平成21年)3月14日改正でついに寝台特急「はやぶさ」は姿を消しました。
 その後、東北新幹線において、2011年(平成23年)3月5日からE5系電車の運用を開始するにあたり新たに設定した愛称として、「はやぶさ」の名は復活しています。
 動画では1985年頃のEF66形が牽引する24系25形客車15両編成での姿を再現しています。